播磨の神々 1

交通妨害の神

アマツワニは播磨はりまの国でも暴れていた。生野いくのでは、行き来する人の半数を殺した。
神前かむさきの村では、いつも通行人の舟を半分通さなかった。
そこで行き来する舟は、みな大津江おおつえに留まり、川を上流にさかのぼり、賀意理多かおりたの谷から引いて出て、郡林こおりはやしの水門に通して海に出した。ものすごい遠回りをしたのだ。
そんなわけでその原は、舟引原ふなひきはらと呼ばれた。

オオミズハ

賀毛かもこおりには仲の良い男神と女神がいた。
ある時ニウツヒコが、こんなことを言い出した。

法太ほうだ川の下流の流れを変えて、雲潤うるみの里のほうにやろうと思うんだ」

その雲潤の里に住んでいるオオミズハは、その申し出を強い口調で断った。

「そ、そんなことしなくっていい!」

彼女は別に嫌がっていたわけではない。むしろありがたいことだと思ったが、それ以上に頼りたくない、面倒をかけたくないとの気持ちが勝っていた。

「いや、だってそのほうが村が豊かになるだろ?」

「いいってば! わ、私はイノシシの血で田を耕すから。だから、川の水なんて欲しくない!!」

「こいつ、川を掘るのに飽きてうみて、そんなこと言っているだけだろ。もう……わかった、やめるよ」

(せっかく親切にしてやろうと思ったのに)

ニウツヒコは面白くなかった。

そんなことがあったオオミズハだが、彼女には子供がいた。誰の子かは想像に任せよう。
その子イハツヒコは、賀古かこの郡で狩りをした。その時、追われた鹿が丘に逃げ登って、ピーと悲しげに鳴いた。だから、その丘は日岡ひおかと名付けられた。

八十橋

さて、イザナギがそうしようとしていたように、八百万やおよろずの神々も、高天原たかまのはらなかつ国を行き来するために、天まで届く石のハシゴを架けていた。斗形山ますがたやまの麓にあるそれは、八十橋やそはしと呼ばれていた。

住吉大神

イザナギからはたくさんの神が産まれたが、その中の海の神、ソコツツノオ・ナカツツノオ・ウワツツノオの三柱の総称を、住吉大神すみよしのおおかみという。
住吉大神は、お供を連れて摂津の国へと上っていく旅の途中、河内かうちの里まで進んだ。

「ここらで食事休憩にしよう」

「住吉様たちを、地べたに座らせるわけには参りません。敷物をご用意しましょう」

お供の神々はそう言ってその場を離れると、あろうことか村人が刈って置いてあった草を、解き散らかして敷物にした。
これに気づいた草の持ち主が、困り果てた顔をして訴え出てきた。

「この草は、私どもが田んぼの肥料にする、大事なものなんです。神様、どうにかしてくだされ」

「やれやれ……お前たち、いらぬことをしでかしたな」

お供らを軽くしかりつけると、住吉大神は村人のほうに向き直った。

「お前の田の苗は、必ずや、草を敷かなくても、草を敷いたかのように丈夫に育つであろう」

神力を込めてそう宣言すると、その通りになった。以来、この村では草を敷かずに稲をまくのが風習になった。

また住吉大神は、多くの村々に果実を分け与えて回っていた。それが、ある村に着いて足りなくなった。

半端はしになってしまったなぁ」

そんなつぶやきが、端鹿はしかの里という名前になった。