アヂスキタカヒコネの系譜

タキツヒコ

泣くことをやめ、言葉を話すようになったタカヒコネ。彼はこれまでの遅れを取り戻すかのように、活発に行動した。
播磨はりまの国では新次社にいすきのやしろに住居を構えた。さらに、多駝ただの里に神の宮を建てたときに、オオワチ(大きなかやの束)を巡らして、垣を作った。それでその野を邑曰野おおわちのといった。

タカヒコネは、出雲の国で結婚することもできた。妻となったミカジヒメは、多具たぐの村に行って、お腹の子にこう教えた。

「よくお聞き。お前のお父さんはずっと泣き続ける子だったの。お前も、お父さんのように泣きなさい。生きていこうと思うなら、この土地が良いわね」

そしてタキツヒコを産んだ。この村にある神をかたどった石像、いわゆる石神は、タキツヒコの依り代。日照り続きの時に雨ごいをすれば、必ず雨を降らせるのだ。大泣きする神のように。

ヤキタチヒモリオオホヒコ

タカヒコネの子は他にも、塩冶やむやさとにヤムヤヒコが住んでいた。

そのヤムヤヒコにもオオホヒコという子がいた。

「風のうわさに聞いたんだが、大和やまとの国の三人の山神が争っているそうじゃないか。香久山かぐやま畝傍うねびを妻にしようと耳成みみなりめているとかなんとか。国造りの神の子孫として、ここは俺が忠告してやめさせるべきだろう」

謎の使命感に燃える彼は、はるばる出雲の国から大和の国を目指して上った。その途中、播磨の国の上岡かむのおかの里に着いたところ、また風聞が飛んできた。

「なにぃ!? 三山の闘いがやんだだって!? んもぅ、なんだってんだよ! せっかくここまで来たのにぃ~! バカらしい、や~めた!」

投げやりになったオオホヒコは、乗ってきた船をひっくり返し、その上に座り込んだ。それでその丘を神阜かむのおかというようになった。丘の形も、覆した船に似ている。

ヒトコトヌシ

また、土左とさの国の高賀茂たかかもの大社に住むヒトコトヌシも、オオクニヌシタカヒコネと続く、出雲の神の子孫であった。